レッジョ・エミリア・アプローチの歴史
幼児教育として昨今、世界中で話題を集めている「レッジョ・エミリア・アプローチ」。実はその歴史は古く、第二次世界大戦後、北イタリアの「レッジョ・エミリア市」で始まりました。レッジョ・エミリアは、「人」ではなく「街」の名前です。
第二次世界大戦中、レッジョ・エミリア市は国内のファシストの権力やナチスドイツの侵略に根強く抵抗し、そのために街中が壊滅的な状態となりました。そして、大戦が自国やナチスの敗戦で終結した後、「このような過ちを繰り返さない人間を育てよう」と、街の人々が立ち上がり、「(国家ではなく)市民による幼児学校」を開設したことが始まりでした。
第一次大戦後に始まったモンテッソーリ教育やシュタイナー教育も、やはり「もう戦争を起こさないための教育を」という思いで始まっていました。レッジョ・エミリア・アプローチも、同じ思いで始まった教育です。世界の状況が不安定な今だからこそ、学びたい教育だといえます。
初めは「小さな街の独自の取り組み」として始まったレッジョ・エミリア・アプローチですが、1991年にニューズウィーク誌で「世界で最も前衛的な幼児教育施設」と紹介されたことで、世界的に有名になりました。
現在、レッジョ・エミリア・アプローチを発展させるための「レッジョ・チルドレン国際ネットワーク」に、日本を含む世界34カ国の組織が加盟しています。日本でも、さまざまな保育園・幼稚園等に取り入れられています。
モンテッソーリ教育やシュタイナー教育については下記の記事を参考にしてみてください。
【レッジョ・エミリア・アプローチの特徴1】子どもの持つ可能性や感性を奪わない
レッジョ・エミリア・アプローチの思想的な中心となったのは、心理学者であり教育家のローリス・マラグッツィという人物です。彼による詩は「子どもたちの100の言葉」とも呼ばれ、レッジョ・エミリア・アプローチの中心的思想となっています。
少し長いですが、全文を紹介します。
子どもたちの100の言葉
「冗談じゃない。百のものはここにある。」
子どもは
百のものでつくられている。
子どもは
百の言葉を
百の手を
百の思いを
百の考え方を
百の遊び方や話し方をもっている。
百、何もかもが百。
聞き方も
驚き方も愛し方も
理解し歌うときの
歓びも百。
発見すべき世界も百。
夢見る世界も百。
子どもは
百の言葉をもっている。
(ほかにもいろいろ百、百、百)
けれども、その九十九は奪われる。
学校も文化も
頭と身体を分け
こう教える。
手を使わないで考えなさい。
頭を使わないでやりなさい。
話をしないで聴きなさい。
楽しまないで理解しなさい。
愛したり驚いたりするのは
イースターとクリスマスのときだけにしなさい。
こうも教える。
すでにある世界を発見しなさい。
そして百の世界から
九十九を奪ってしまう。
こうも教える。
遊びと仕事
現実とファンタジー
科学と発明
空と大地
理性と夢
これらはみんな
ともにあることは
できないんだよと。
つまり、こう教える。
百のものはないと。
子どもは答える。
冗談じゃない。百のものはここにある。
――ローリス・マラグッツィ(訳:佐藤学)
「子どもたちの100の言葉」が意味していること
従来の教育では、「子どもは何もできないから、大人が『正しいやり方』を教えないといけない」という考え方でした。
しかしレッジョ・エミリアの人々は、ファシズムや戦争を通して、「たった一つのやり方が正しいと全員に教え込むこと」の危険性を体験しました。また、世の中が大きく変化して、これまでの常識があっという間にひっくり返るような経験もしたのではないかと思います。
そんな時、ローリス・マラグッツィは、まず「子どもは生まれつきたくさんの可能性や能力を持っている」と考えました。
どんな子どもも、たくさんの可能性や、たくましい能力や、多様な考え方・感性を持っていて、それを「奪わないこと」が何より大切だと考えたのです。
そして、子どもたちを「一つのゴール」に向かわせるのではなく、子ども一人一人が自分で感じ、自分で考え、皆と一緒に協力しながら共に何かに取り組んでいく、その「多様なプロセス」自体を大切にする幼児教育を提案しました。
それがレッジョ・エミリア市の人々の求めるものと合致し、「レッジョ・エミリア・アプローチ」として街ぐるみでの実践が始まったのです。
【レッジョ・エミリア・アプローチの特徴2】対話を通した創造的なプロジェクト
では、レッジョ・エミリア・アプローチでは具体的にどんなことをしているのでしょう。
その活動は「プロジェクト」(イタリア語では”プロジェッタツィオーネ”)と呼ばれます。プロジェクトは、大人と子どもが一緒に話し合う中から生まれ、対話しながら進んでいきます。短期間で終わることもあれば、何週間、何カ月と続いたり、複数のプロジェクトが進行していくこともあります。プロジェクトには「芸術」「実験」「遊び」などいろいろな面がありますが、どれも分けずに混ざり合っている、総合的な取り組みです。
レッジョ・エミリア・アプローチに取り組む園では、保育士や教師とは別に「アトリエリスタ(atelierista)」と呼ばれる芸術分野の専門家がいます。園内では「アトリエ」と呼ばれる場があり、アトリエリスタがさまざまな素材や道具を用意して、子どもたちが創造性を発揮できる環境を作っています。
また、「ペダゴジスタ(pedagogista)」と呼ばれる教育コーディネーターもいて、現場で行われていることがレッジョ・エミリア・アプローチの理念にかなうよう、現場の保育士や教師をサポートしています。
一般の園と全く違うので、ちょっと想像しにくいですよね。少しでもイメージを掴んでもらえるように、いくつかの事例をご紹介します。
例1「小鳥の遊園地」プロジェクト
「ねえ、みんな、小鳥たちのために遊園地をつくるというのはどうだろう。」
(書籍「レッジョ・エミリアの幼児教育実践記録 子どもたちの100の言葉」より)
レッジョ・エミリア市の幼児学校の事例です。
子どもから「庭に来る小鳥が水を飲めるように池をつくってあげたい」というアイデアが出る
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子どもたちの話し合いの中で「休憩できるおうちもいるね」「遊ぶところもあったら喜ぶよ」とアイデアが膨らみ、「じゃあ、小鳥の遊園地をつくろう!」というアイデアが出てくる
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子どもたちが小鳥の遊園地に作りたいものの絵を描く
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その中に「小鳥のための噴水」がある
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「噴水ってどうやって作るの?」という疑問から、噴水の観察に行ったり、想像した設計図を描いてみる
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アトリエリスタのサポートで水の実験をして、小鳥のためにさまざまな噴水や水車を作る
参照:レッジョ・チルドレン・著/ワタリウム美術館・編「レッジョ・エミリアの幼児教育実践記録 子どもたちの100の言葉」(日東書院)2012
例2「ひまわり」プロジェクト
日本のレッジョ・エミリア・アプローチの保育園の事例です。
地域の人から「ここに花壇を作って欲しい」と提案をもらう
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保育士から「どんなふうにしようかな?」という問いかけをする
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子どもたちがあれこれと自由にアイデアを出し合う
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子どもたちの話し合いの中で「種を植えて、また種が採れるような花壇にしたい」というアイデアが出てくる
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ひまわりを植えて、水やりをしたり、観察をする
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「ひまわりの絵を描きたい」と思った子どもたちが、自由に絵を描く
取材協力:まちのこども園・代々木公園
「プロセス」そのものを大切に
上の例のどれも、「ゴール」を最初に決めず、対話の中からアイデアが出て、それを実践する中で次のアイデアにつながっています。大人によるきっかけの提供やサポートはありますが、大人がゴールを決めてそこに導く形ではありません。水の実験をして噴水を作ったり、ひまわりを育てて絵を描くといった「結果」が大切なのではなく、そうなるまでの対話や体験といった「プロセス」そのものが大切にされているのです。
そのために、レッジョ・エミリア・アプローチの園内や展示会などでは、できあがった「作品」だけを飾るのではなく、プロジェクトの過程や子どもの発言等を写真・動画・スケッチ・メモなどで記録した「ドキュメンテーション」と呼ばれるものを展示しています。
【レッジョ・エミリア・アプローチの特徴3】コミュニティで子どもを育てる
レッジョ・エミリア・アプローチの大きな特徴は、教育方法だけではありません。レッジョ・エミリア市では、地域社会の発展のためには小さな子どもたちの教育が不可欠だと考え、街ぐるみで取り組んでいます。
街の人々が子どもを大切にし、街ぐるみで子育てに参加することで、その子どもたちは、大きくなってから街を大切にするようになり、よりよい街づくりに参加するようになる・・・そんな循環をつくっているのです。
そのため、人々がつながる「コミュニティ」の真ん中に子どもの居場所をつくり、子どもがさまざまな人々と関わりながら育っていくことも、レッジョ・エミリア・アプローチから学べる重要なエッセンスだと考えられています。
例えばレッジョ・エミリア市では、新しい園を開園するとき、教師や園関係者だけでなく、地域住民も一緒に参加して、園の名前を考えます。地域住民の一人一人が、この園を共につくっているという意識を持つのです。
また、幼稚園・保育園が入っている施設にカフェや書店を併設したり、駅の地下道などの公共の場に子どもたちのドキュメンテーションを展示したりと、地域コミュニティの中に子どもたちの存在があることを大切にしています。
日本でレッジョ・エミリア・アプローチを実践する園でも、保育園の敷地内に地域交流ができる場をつくったり、誰でも利用できるカフェを併設したり、地域の子育てセンター内でレッジョ・エミリア・アプローチを実践するなど、「地域コミュニティと共にある幼児教育の場づくり」に取り組んでいます。
レッジョ・エミリア・アプローチの効果
レッジョ・エミリア・アプローチには、どんな教育効果があるのでしょうか。この教育が目指していることは、子どもの学力向上や知能の発達ではありません。また、絵や工作が上手になったり、観察や実験が上達することでもありません。
一般的な説明としては、創造性や感性を豊かにする、あるいは非認知能力や自己肯定感を高める、といった言い方もできると思います。ただし、レッジョ・エミリア・アプローチの思想としては、それだけが「ゴール」ではないといえます。
レッジョ・エミリア市の幼児教育が始まったのは第二次世界大戦後ですが、現在、そしてこの先の未来は、ますます変化の大きい、どうなっていくのか分からない時代だといえます。
ここ数年の日本でも、いろいろな場面で「これまでの常識が常識でなくなる」という経験をした方が多いのではないでしょうか。
そんな中で、レッジョ・エミリア・アプローチが目指しているのは、「答えのないこと」に対して「一人一人が自分で感じ、自分で考え、皆と一緒に協力しながら取り組む力」を育むことだといえます。
見えている「ゴール」があって、それに向かっていくのではなく、これからの未来を生きる自分たちにとって何が必要なのか、それを「模索する力」そのものを育てている、ともいえるでしょう。
レッジョ・エミリア・アプローチの注意点は?
日本でレッジョ・エミリア・アプローチを子どもの教育として選ぶとき、注意したいことをご紹介します。
決まったメソッドがない
まず注意したいのは、この教育には「決まったメソッドがない」ということです。レッジョ・エミリア市の教育者たち自身が、自分たちの教育はあくまで「レッジョ・エミリア市の取り組み」であり、そのまま模倣するべきではないと語っています。
それぞれの現場の文化や独自性を生かした、子どもを第一にした実践が大切だとされているのです。
日本においても、よく知られ始めたのが2001年からと、比較的歴史が新しいので、現場の状況はさまざまです。日本ではJIREAという組織が「レッジョ・チルドレン国際ネットワーク」に加盟していますが、そこに関係している園もあれば、そうでなくても「レッジョ・エミリア・アプローチ」を掲げている園もあります。
また、レッジョ・エミリア・アプローチとは謳っていなくても、レッジョ・エミリア市の取り組みを参考にしている園や、それに近い教育を日本でもともと実践している園もあります。
そもそも決まったメソッドのない教育方法なので、それぞれの園の実践内容も統一されているわけではありません。それぞれの園で、「子どもを中心に」「芸術・創造」「コミュニティ」など、レッジョ・エミリア・アプローチから学べるさまざまな要素を、それぞれでアレンジして取り入れています。「レッジョ・エミリア」というキーワードだけで判断するのではなく、見学や説明会などで中身をしっかりと見て、自分と子どもに合っているかどうかを判断することが大切です。
学校教育との接続はこれから
レッジョ・エミリア・アプローチは、6歳までの乳幼児教育として始まったものです。
しかし、レッジョ・エミリア・アプローチの「プロセスを大切にする」という考え方と、一般的な学校教育の「テストをして成績をつける」というやり方の間には、大きなギャップがあります。
レッジョ・エミリア市においては、十数年前に学校教育との接続・連携の取り組みが始まりました。レッジョ・エミリア・アプローチで育った子どもが、学校教育の中でどのように育っていけるか、あるいは学校教育の中でレッジョ・エミリア・アプローチのエッセンスをどのように実践するかは、今後注目したいテーマとなっています。
日本においても、レッジョ・エミリア・アプローチは幼稚園・保育園等で取り入れられており、学校教育との連携はまだありません。
ただし、一般的な学校へ行ったからといって、レッジョ・エミリア・アプローチで育った子どもの可能性や能力が、ただちに損なわれるとは限りません。例えば、非認知能力や自己肯定感などにおいては、乳幼児期の教育や体験が一生の土台となることが、さまざまな研究から分かっています。家庭内での接し方や取り組みによって、レッジョ・エミリア・アプローチで培った力を伸ばしていくこともできるはずです。
また、一部の私立学校や、モンテッソーリ教育、シュタイナー教育、フレネ教育、サマーヒルスクール、イエナプラン教育などのオルタナティブな教育を実践している学校では、レッジョ・エミリア・アプローチの考え方に近い部分もあるように思います。場合によっては、そのような学校を選ぶという方法もあります。
ともあれ、レッジョ・エミリア・アプローチは現在のところ乳幼児教育までであり、その後の育ち方については家庭で考えていく必要があるでしょう。
家庭でできるレッジョ・エミリア・アプローチのやり方
おうちでレッジョ・エミリア・アプローチのエッセンスを取り入れたい場合は、どのようなことができるでしょうか。「決まったメソッドがない」というのは上述した通りですが、家庭で実践しやすそうな取り組みをご紹介します。
環境づくり
レッジョ・エミリア・アプローチの園では、さまざまな素材や道具が用意された「アトリエ」があります。
できあがったおもちゃではなく、子どもの発想でさまざまなものに見立てたり、自分で何かを作ることができる材料が揃っているのです。おうちでも、子どもの遊びのために、おもちゃを買うだけでなく、色々な素材を集めて小さなアトリエを作ってみることができます。
アトリエといっても、油彩の絵の具やキャンバスなど、高度な画材が必要なわけではありません。子どもの興味や年齢に合わせて、色紙、セロテープ、クレヨン、はさみ、のりなどの工作用具、あるいは空き容器やダンボールなどのいらないものを活用してみたり、木の実や葉っぱなどを一緒に拾って集めてみるのも楽しいでしょう。何を用意したらいいか分からないときは、子どもの興味や好きなことに合わせて、テーマを決めて集めてみてもよいでしょう。子どもの興味の変化に合わせて、アトリエを変化させていくこともできます。
また、レッジョ・エミリア・アプローチを取り入れるといっても、「さあ、今からこのアトリエでプロジェクトをしましょう」と始めるわけではありません。
レッジョ・エミリア市の園では、「遊び」の時間と「プロジェクト」の時間を分けず、自由な活動時間の中、子ども同士や大人との対話を通して、自然とプロジェクトが発展していきます。
おうちで取り入れるときは、まず子どもの遊びの時間にアトリエのような環境を提供し、遊びが自由に発展していくのを見守ってみましょう。
小さな子どもの中では、「遊び」も「芸術」も「学び」も分けられていません。
子どもの何気ない遊びやアイデアが発展して、いつの間にか創造的なプロジェクトのようなものになっていくのを楽しめたら、それがレッジョ・エミリア・アプローチのエッセンスの一つだといえると思います。
声のかけ方
レッジョ・エミリア・アプローチでは、何をしようか考えたり、どうやろうか試行錯誤するプロセス自体が大切です。「こうしたらうまく作れるよ」と指導するのではなく、子どものペースに合わせて、子どもが自分からやることを見守り、子どもがどうしても必要としたときにサポートするようにしましょう。
また、考えたことや作ったものを否定するのはもちろん、「上手にできたね」と褒めることも、レッジョ・エミリア・アプローチの観点からは注意が必要です。褒めることで、子どもが「もっと褒められたい」というモチベーションだけで取り組むようになってしまったり、「これは上手、これは下手」と優劣を気にするようになってしまうことがあるからです。
もちろん、対話の中でアイデアが膨らむこともありますし、「こう考えたんだよ」「こう作ったんだよ」という子どもの話をしっかり聞いてあげることは大切です。そんなときは、「なるほど、そうやって考えたんだね」「そっか、こう作ったんだね」と、取り組みのプロセスをそのまま認めてあげましょう。
普段のコミュニケーションでは、どうしても大人が子どもを褒めたり叱ったりして、大人が正しいと思う方向に導くような会話になりがちです。もちろん、そうしたしつけが大切なときもあります。ただ、遊びのときや、子どもが自分から取り組んだことなどについては、いつも大人がやって欲しいことに導くだけではなく、なるべく子どもの考えや取り組みをそのまま認めるような声がけを心がけましょう。
おわりに
レッジョ・エミリア・アプローチの歴史、特徴や効果、注意点、家庭で取り入れるポイントなどをご紹介しました。レッジョ・エミリア・アプローチは数ある教育法の中では、比較的新しいものですが、今の時代にも合っていて、これからの可能性もたくさん秘めているように感じます。
メソッドが固定していないことで、園によって多様な取り組みがあるのも、魅力の一つといえるかもしれません。これからの変化の大きい時代の子育てに、ぜひ参考にしていきたいですね。
取材協力:JIREA/まちの研究所株式会社
参考:森眞理「レッジョ・エミリアからのおくりもの ~子どもが真ん中にある乳幼児教育~」(フレーベル館)2013
レッジョ・チルドレン・著/ワタリウム美術館・編「レッジョ・エミリアの幼児教育実践記録 子どもたちの100の言葉」(日東書院)2012