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【人生の先輩が見つけた。自分らしく生きるヒント】第3回目 小林照子さん「子育てはずっと続かない。人生をトータルで考えましょう」

いま、自分らしくゆとりのある生活を送るあの人も、仕事と育児の両立にてんてこまいしていた時期があります。当時を振り返って思い起こす悩みや喜び、そして子どもが独立してからの人生の楽しみ方は、子育て真っ最中の私たちのヒントになりそうです。第3回目は、女性を輝かせることを使命とする美容研究家の小林照子さんにお話を伺いました。

最終更新日:2023.11.9

目 次

子育てと仕事が第一優先。死なないことは後回し

小林照子さん

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――長女のひろ美さんを出産された頃は、すでに小林コーセーで活躍されていましたね?

小林さん:はい。29歳でひろ美を出産したあと、30歳でマーケティング部に新設された美容研究室に異動になりました。ここに配属された美容研究者は私一人です。マーケティングから商品開発、プロモーションに至るまで全て一人でやっていました。そんな中で開発したのが、世界初の美容液です。忙しく働く女性のために1本で効果が実感できる美容液は、私自身のための商品でもあります。実際に発売すると女性の心をつかんで大ヒット。当時は、子育てと仕事で目の回るような忙しさでしたが、充実していましたね。
 
――まだ社会で活躍する女性が少ない時代、どのようにして仕事と子育てを両立されましたか?
 
小林さん:「女はダメ」と女性が働くことに理解がない時代でしたから、仕事は第一優先です。一方で、子どもはすごい存在です。子どもの命と健康と心は親の責任。子どもも第一優先です。第一優先が2つあるので、当時は決断と行動をいかに早くするか。保育園がまだほとんどない時代だったので、働く女性に理解のある保育園が下北沢にあると友だち夫婦から聞けば駆けつけて、夫に相談せずに買った家を売って、近くに引っ越すことにしたりして。職住接近は仕事と子育てを両立させるためのテーマだったので、そのために27回引っ越しました。

小林照子さん

uchicoto

――ものすごい覚悟で仕事と子育てをやり抜いてこられたのですね。
 
小林さん: 30代は振り返るのも嫌なくらい、忙しくやっていたと思います。仕事はたまるし、家の片付けや料理もあります。ですから、やらなければいけないこと、やらなくてもいいことをランク付けしました。「死なないこと」を基準にしていたので、掃除は後回し。仕事が終わって子どもを迎えに行ったら、寝るまでは子どもとの時間です。ごはんを作って食べさせたら、子どもを膝に抱いて「今日、何があったの?」と聞きます。子どもにも一生懸命伝えたいことがあるので、一緒に怒ったり泣いたり。子どもが言葉を覚えたら、寝かせる時にはグリム童話を読み聞かせて。私は学生時代に演劇をやっていたので、声色をつくって本格的に(笑)。子どもとは短いながらも、濃密な時間を過ごしてきましたね。子育てに時間がかけられませんでしたが、子どもの心を大切にしてきました。
 
――仕事と子育てを両立するために、どんな工夫をしていましたか?
 
小林さん:知恵を使ったと思うのは、働いてくれる家電は高くても買っていました。あの頃は、掃除機や全自動洗濯機、布団乾燥機が出始めた頃でした。家事をしてくれるロボットがいたら買っていたでしょうね。保育園以外に保育ママも何人もお願いしました。あの頃は紙おむつがなく、浴衣で作った布のおむつ。それも普通の人の2倍持ってローテーションして。仕事と子育てを両立させるのに、お金で解決できるものにはお金をかけていました。

渦中の時は続かない。先を見据えてほしい

小林照子さん

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――旦那さんとはどのように協力されてきましたか?
 
小林さん:夫は教えてもなかなか子育てをやってくれなかったので、工夫しました。下北沢の保育園を教えてくれた夫婦も共働きだったので、その夫婦と私たち夫婦4人のうち、1人がお互いの子ども2人の面倒を見ようということになりました。じゃんけんで1人が決まったら、男の人でも運動会に参加したり、休みの日に子どもたちを動物園に連れて行ったりしてもらいました。初めのうち、夫は女性の仕事には反対でしたが、そのおかげで理解が進み、「女性も仕事をやるべき」という考えに変わっていました(笑)。
 
――お子さんがある程度大きくなられてからは、どのように育ててこられましたか?
 
小林さん:親が働いているせいか、ひろ美は社交的で知恵のある子に育ちました。小学生の頃、ひろ美が自宅のあった練馬から私の勤める日本橋のコーセー本社まで来たことがありました。住所も知らないのにどうやって来たのかと聞くと、池袋と日本橋でそれぞれおばさんに道を尋ねたらしいのです。ひろ美は家の近くにあるお宅や市場のおばさんたちに普段から話し掛けて仲良くなっていたことから、どんなおばさんに尋ねれば親切に教えてもらえるかを心得ていたんです。ひろ美には、20歳まではお金を出すから、何でもやりたいことをやりなさいと約束していました。勉強が苦手な子でしたが、自分でしっかり考えて、志望校だった大学に入学、その後アメリカの大学にも留学しました。

小林照子さん

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――小林さんに苦手な家事はありますか。それをどう克服していましたか?
 
小林さん:テレビ番組でも、ひろ美に暴露されたのですが、料理が苦手です。包丁で切ったり、片付けたりは好きですし、料理自体も嫌いではありませんが、どうも味付けが家族のお気に召さない。カレーの隠し味にマーマレードがいい、と聞くと、1瓶ぜんぶ入れちゃったこともあるくらい。人に言わせると、大胆らしいです。孫が小さい頃、私が料理を作ろうとすると「ママ、ゴスちゃん(小林さんのニックネーム)が味付けしそうだから帰ってきて」と連絡してたくらいです(笑)。
だから、料理はプロの味を求めて外食したり、家族と分担したりしました。夫は自由に外食する人でプロの味を知っているので、「お父さんはみそ汁が上手よ」と褒めて作ってもらいました。
 
――30〜40代を振り返って、どうでしたか?
 
小林さん:あの頃はふつうの生き方の3倍くらい何もかもやったと思います。女性ホルモンのさかんな頃でパワーもあるので、それを仕事にも子育てにも活かしていました。輝いている世代である一方、仕事と育児や家事に手一杯になる人も多いはずです。渦中にいる間はずっと続くと思いがちですが、子どもは成長するに連れ、友だちをつくり、やがて自立していきます。時間は必ず過ぎていくものです。大変な思いをしてキャリアを築いたり、子育てをした経験を次に活かすために50代、60代になって自分が何をするのかを少しずつ考えておくといいと思います。

子育て後は、本当にやりたいことに全力投球

小林照子さん

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――子育てが一段落した頃、どんなことに挑戦されましたか?
 
小林さん:私は演劇のメイクアップアーティストになりたいという夢があって、コーセーに入社しました。30代から40代にかけては世界初の美容液とパウダーファンデーションを開発し、キャンペーンでの成功経験もありました。その間に、小劇場しかなかった演劇の世界に、国立劇場や青山劇場といった大きな劇場ができてメイクアップアーティストが活躍できる場も広がっていました。私は夢がありながら、コーセーという会社に甘んじてしまったという思いがあり、45歳の頃にプロのメイクアップアーティストを育てる学校をつくるために独立しようと思っていました。ところが、会社がそれを知って、社内につくればいいとなり、48歳の頃に「ザ・ベストメイクアップ・スクール」が誕生しました。ここで人を育てるのが私の使命だと思いました。
 
――本当にやりたいことに挑戦されたんですね!
 
小林さん:はい。結果として世界で活躍するプロのメイクアップアーティストを育てることになり、1期生のAYAKOは後に「アディクション」のクリエイティブ・ディレクターになるなど、コーセーのためにもなりました。56歳でコーセーを退職してからは、教育や商品開発に力を注ぐため美ファイン研究所を設立し、それを軌道にのせながら、「[フロムハンド]メイクアップアカデミー」、「リバイタライズサロン クリーム」「青山ビューティ学院高等部」の東京校と京都校、トータルビューティサロン「Sion Kyoto」などもオープンしました。結果的にあんなに大変だった30代よりも忙しかったですね。

小林照子さんの彫刻

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小林さんは趣味も本格的。こちらは75歳で始めた彫刻で小林さんがつくった作品

――ひろ美さんも美容家として活躍され、美・ファイン研究所では共に仕事をされています。親子でいい関係を続けるコツはありますか?
 
小林さん:ひろ美は、私がどんな時も現場に行っていたことから、目指す職業としてメイクアップは除外していたようですが、小さい頃から化粧品のパッケージやポスターに囲まれて育ったので、化粧品は大好き。スキンケアや香り、心の美容の分野で美容家になりました。全く同じ道ではなかったのが良かったのかもしれません。コーセーの頃から、心掛けていたのは、家に帰ったら仕事の話はしないこと。いまでもそういう距離感は大事にしています。これは人間関係の全てに言えることで、25年来、月に一度会う友だちが4人いますが、それぞれの分野の面白おかしい話しかしません。お互いどんな人が旦那さんか知らないんですよ(笑)。
 
――人生100年を踏まえて、子育て時代と子育て後の人生を楽しむためのアドバイスをお願いします。
 
小林さん:20代から40代までは、仕事のプロ、または家事や育児のプロとして自分をプロ化したキャリアを積んでほしいと思います。1日5分でいいので、自分を愛する時間をつくってほしい。子どもが成長するにつれ、その時間を1時間、2時間と増やしていけるはずです。すると、子どもの巣立つ頃に自分の世界をつくることができ、子どもを喜んで送り出すことができます。
 
40代半ばになると更年期に入り、一時期変調をきたします。その間は自分をいたわり、心と体を大事にしてください。50代になるとそこから抜けて心がけ次第でハイウェイに乗ったような人生をつくることもできます。一方で、貫禄がついて不機嫌な顔に見える時期でもあります。自分の顔への意識が低下しているので、努めて笑顔をつくっていきましょう。60代は、「何もしなくていいのよ」と無頓着になる人が増えます。そういう人は景色を汚す人。客観的に絵になる人と思ってもらえるよう、美意識を持ってほしいですね。いつの時代も何歳になっても、自分というものをなくさないことが大切です。

編集後記

小林照子さんとパッチョ

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女性が働く上でのバックアップがほとんどない時代に、仕事と子育てに全力を注いできた小林さん。やりたいことをやると決めて、100%のエネルギーを注いで生きてこられた力強さが伝わってきました。また、ひろ美さんの小さい頃の出来事を昨日のことのようにみずみずしくお話しになる姿を拝見して、子育て後振り返った時に、あんな風に楽しそうに話せるのは素敵だなと思いました。
「仕事と子育ての両立も、いつかは終わる」という話には、深くうなずきました。日々の忙しさに翻弄されがちですが、少しずつ自分の時間を持つことが将来の自分の世界をつくることになる。それが人生を通して、輝いていくための法則であることを教わりました。
小林さん、素晴らしいお話をありがとうございました!

  • この記事取材先

    小林照子

    美容研究家・メイクアップアーティスト

    小林照子

    1935年、東京都生まれ。小林コーセー(現・コーセー)に美容指導員として入社。世界初の美容液やパウダーファンデーションを開発するなどヒット商品を手掛け、社内ベンチャー「ザ・ベストメイクアップ・スクール」を立ち上げるなど活躍し、50歳でコーセー初の女性取締役に。56歳で退職し、「美・ファイン研究所」を設立。さらに「[フロムハンド]メイクアップアカデミー」「青山ビューティ学院高等部」など美容に特化した学校を設立し、どの世代の女性にも美しく生きるヒントを与え、後進の育成にも力を注いでいる。長女は、美容家の小林ひろ美さん。

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公開日:2023.3.28

最終更新日:2023.11.9

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