子育て時代も今も座右の銘は「大丈夫、何とかなる!」
――津森さんは20代の頃から第一線で活躍されていました。子育てが始まったのはどんなタイミングでしたか?
津森さん:IS.(Chisato Tsumori Design)の頃でした。チーフデザイナーだったので、とにかく働かなきゃいけない。保育園を見つけて産後2カ月で復帰しました。子どもが小さいうちは、頼れるものは全て頼ろうと、母や主人の母にも助けてもらいましたし、ベビーシッターも結構利用しました。社内に子どもを産んで復帰している女性もいたので、どの病院がいいとか、こんなサービスがいいとか聞いていましたね。
――新ブランドTSUMORI CHISATOがスタートした頃も、お子さんは小さかったですよね?
津森さん:息子が2歳の頃でした。当時は「2歳児の母に新ブランドなんて、やめて」と思いましたが、みんなに「できるよ」と言われて、その気になってやってみようかと(笑)。でも、そのままじゃ無理だと思ったので、同じ会社で働いていた夫と一緒にTSUMORI CHISATOの事務所をつくって、ブランドは元の会社とライセンス契約を結ぶかたちにしました。そうすれば、子どもが熱を出して保育園で預かってもらえないときも、自分たちの会社に連れてきて寝かせられる。事務所と自宅と保育園も全部近場に集めて、子育てと仕事が両立しやすい体制を整えました。
――責任ある立場で仕事を続けるのは、お子さんが小さいうちは大変ですね。当時の悩みは何でしたか?
津森さん:子どもは忙しいときに限って熱が出る。あるとき、入院することになってしまって、でも出張には行かなきゃいけないというときがあって、子どもがかわいそうだなと思いました。でも、そのうち、人間は小さくても生命力があると分かって、それからは「大丈夫、何とかなる!」と思うようになりました。
――いろいろ経験しているうちに、母としてのたくましさを手に入れられたんですね。
津森さん:でも、子どもが小さいうちの子育ては楽しんでやっていました。自転車に乗せたり、鉄棒したり。ママ友とつるんでお互いの家に遊びに行ったり。ママだけで遊んだりもしました。私は休みになると海外に行っていたので、ヨーロッパもハワイも一緒に連れて行きました。「一緒に来ない?」って(笑)
――パワフルですね!
いま思うと、子育てでつらい時期もあったと思いますよ。でも、忘れちゃいますよね。そうしなきゃ、やってられないし。人間は、考え方一つで変われる。絶対にネガティブにならないように、と知らないうちになっていました。大変なときも「大丈夫、何とかなる!」と、座右の銘のように言い聞かせていました。
頼れるものは頼って、手を抜くところは抜く
――お子さんが小さいうちは、どんな家事や子育ての工夫をされていましたか?
津森さん:当時の保育園は、年少のうちは17時半まででした。最初の頃は、家で19時半までシッターさんに見てもらっていましたが、あんまり人が変わると息子が泣くので、地域のシルバー人材センターの方に来てもらって、お迎えとお掃除をやってもらっていました。地域のサービスは2年までしか来てもらえなかったので、個人的にその方と契約して、10年間くらい手伝ってもらいました。その後、パリコレなんかで海外に行くときは妹に来てもらっていました。
――料理などは、どうされていましたか?
津森さん:それも人に頼んだことがありましたが、味が合わなくて、自分で作っていました。でも、手を抜けるところは抜こうと冷凍を活用していました。野菜を煮ておいたものを一週間分くらいつくっておいて、それをカレーにしたりスープにしたり、味噌汁の具にしたり。おにぎりも作って冷凍していましたね。冷蔵庫は、冷凍のものでパンパンでした。そういえば、離乳食も野菜をすりおろして冷凍していましたね。中学になると毎日お弁当が必要になりましたが、だんだん「割に合わないんじゃないか」と思って、「中1までは私が作ったから中2はあなたね」、と主人に作ってもらっていました。その後は息子も売店で買うようになったりして、ずいぶん手が離れました。
――苦手な家事はありましたか?
津森さん:みんな苦手ですよ。やらなくていいなら、やりたくありません(笑)。掃除も汚れた頃にしょうがないからやる。特に子どもが小さいうちは大変。片付けたと思ったら、あっという間に散らかるので。私自身も子どもっぽいところがあって片付けているのか、散らかしているのか分からないことがあります。海外に行くと、置き物が好きで買ってくるので、玄関にはいろんな国のものがガーッと並んでる。本当は一つ一つ拭かなきゃいけないんですけど、半年に1回くらい拭けばいいかなと。これも、手を抜くところは抜くですね(笑)
子育てを楽しんだ後に、パワーアップした創作意欲
――お子さんから手が離れてから、何か変化はありましたか?
津森さん:中学にあがってしばらくすると、ずいぶんラクになった思いがあります。その頃、コレクションの発表の場を東京からパリに移しました。子育てがひと段落すると、いろんなところに目が向きます。パリは人も違うし文化も違う、おもしろいなと思ってどんどんパワーアップしていきました。
――2019年にTSUMORI CHISATOの婦人服のライセンス契約が満了になり、受注生産に切り替えられました。これはどんな経緯で?
津森さん:ライセンス契約の終了は、すごくタイミングが良かったんです。ファッション業界では大量生産と大量廃棄、ポリエステルの使用が問題になっていました。私は「作れるものなら、作りたい」という方なので、それならば受注生産がいいということになりました。素材も自分でこだわって工場と一緒に作ったりして。時代に合ったやり方に切り替えられてよかったです。幸い、香港と台湾はそのままお店も残っていて、日本でも東京・原宿に事務所とショップのできるTsumori Chisato OMOTESNADOを作り、不定期ですがオープンしています。
――会社では息子さんも働かれていますよね?
津森さん:香港や台湾にお店があるので、展示会の準備やメール、出荷などを英語でやらなきゃいけないことが多いんです。息子は英語が話せるので、「手伝ってよ」とお願いしたら、引き受けてくれました。会社で毎日のように会っていますが、息子も独立しているので、プライベートは別。あまりそのへんは縛り付けないようにして、仕事を楽しんでもらえたらと思っています。
――子育てを経て、自分らしく輝くためのアドバイスをお願いします。
津森さん:子どもが小さいうちは、一緒に楽しむといいと思います。そうやっていられる時間はあっという間。いろいろなところに一緒に行ったりしてね。子どもが小さいうちは子どもが中心で、自分の時間よりも子どもとの時間が多くなります。私自身、子どもが中学くらいになると仕事が忙しくなったように、少しずつ自分の時間が増えてきて、今はもう自分中心になっています。そうなったときに、世界を旅したことがデザインのテーマになったりする。
デザイナーなので、やりたい事をやるというスタンスで仕事を続けていましたが、がんばっていたことは必ず花開くもの。そのためにも、好きな事をつづけることが大切だと思います。
編集後記
世界的なファッションデザイナーである津森千里さん。常に最前線でご活躍されている印象があるので、正直、子育てのイメージはあまりありませんでしたが、今回お話を伺って、自分の好きをあきらめず、周りを上手に巻き込んで、仕事と両立しながら子育てを楽しまれていたのが分かりました。息子さんが2歳のときにブランドの立ち上げだったとは驚きましたが、やるしかないと腹をくくって、どうやったらやりたいことを実現できるか、常に前向きに立ち向かっていった津森さんの姿勢は、ぜひ学びたいところです。
津森さんの全部をワクワクに変えてしまうような物事の捉え方を伺って、こちらまでワクワクしてくるような気持ちになりました。身の回りの全てのこと、子育ても旅も全部全部、自分の栄養にしてしまう津森さんから、たくさんのヒントをいただきました。
津森さん、元気の出るお話をありがとうございました!