90歳でフォロワー20万人越え! 大崎博子さんをご存じですか?
新しいことに挑戦するのに、年齢は関係ない。そんな言葉に励まされて、習い事を始めたり、人生の決断をすることがあります。一方で、一歩を踏み出す勇気がなかったり、私にはきっと無理だと諦めてしまうこともあります。現在90歳の大崎博子さんは、好奇心の赴くまま、まさにチャレンジする姿勢を貫いてきた人。78歳でパソコンをはじめ、Twitterのフォロワーは20万人を超えます。その背景には海外で暮らす娘さんとの固い絆がありました。そんな親子関係や、年を重ねても好奇心旺盛に暮らすコツについて伺いました。
海外に住むひとり娘と通話するために、78歳でパソコンを習得
――78歳のときに娘さんからパソコンの購入を勧められたそうですが、どういう経緯でそのような話になったのですか?
大崎さん:私には娘がひとりいますが、彼女を産んでほどなく離婚したため、ずっと母ひとり子ひとりで暮らしてきました。その娘が24歳のときにロンドンに留学したいと言ってきたんです。ずっと貯めていたお年玉やバイト代で行くって言うんですから、止められませんよね。当初は半年間の予定だったのですが、ロンドンが気に入り、現地のカレッジを卒業。そのまま向こうで就職してしまいました。やがて旦那さんと出会って国際結婚し、いまもロンドンに住んでいます。そんなひとり娘との連絡手段は、ずっと国際電話でした。ただ、料金が非常に高く、うっかり長電話すると、ものすごい額の請求が届くことになります。だから手元に砂時計を置いて、「砂が落ちるまでの6分間だけ話そう」などと、節約しながらよく電話をしていました。
そんなある日、娘が「パソコンを使えば、日本とロンドンでも無料で通話できるよ」と言ってきたんです。私は78歳になっていましたが、大好きだった東方神起のミュージックビデオをYouTubeで見たいという思いもあり、思い切ってパソコンを購入することにしたんです。
――パソコンはすぐに使えるようになったのですか?
大崎さん:当時Apple社のMacを購入して、追加で9800円を支払うと、アップルストア銀座店で1年間マンツーマンのパソコンレッスンを受けることができるというサービスがありました。それで迷わずMacを購入。講座は恐る恐る受講したのですが、行ってみると「そんなこともできるの!?」と、驚きの連続でした。小さな疑問にも丁寧に答えてくれるので、満了後もサービスを更新して、結局3年間、通いました。それで操作を覚えることができました。
――Twitterはなぜ始めようと思われたのですか?
大崎さん:Twitterも娘から勧められたのがきっかけです。ただ、仕組みや使い方は理解できたのですが、当初は何が面白いのか、さっぱり分かりませんでした。試しにアカウントを作成して、つぶやいてみたものの、特に反応もありません。その3日後に起こったのが、東日本大震災でした。電話がまったく通じなくなり、どうやって海外にいる娘に安否を伝えればいいのかと困惑していたときに、役立ったのがTwitterとSkypeでした。
こんなに便利なツールだったのかと、それ以来、本格的に使ってみることにしたんです。抱えていた原発への不安や戦争体験者としての思いをつぶやくうちに、どんどんフォロワーが増えていきました。普段はお天気のことや、散歩で見つけた花の写真を載せたりと、たわいないツイートばかりしているので、90歳のおばあちゃんがつぶやいていることってどんなことなんだろう? って、みんな珍しがってフォローしてくれているだけだと思っています。でも、たまにはいいこともつぶやいているらしいですよ(笑)。
――娘さんからパソコンやTwitterを勧められて、私には無理と、反発する気持ちはなかったのですか?
大崎さん:最近は特に娘の意見には耳を傾けようと心掛けているので、やってみようと素直に思いました。老いては子に従えっていう考えはあまり好きではありませんが、たしかに年齢を重ねると、子どもに従ったほうがうまくいくことが多いように思います。私も悩み事があると、よく娘に相談しますし、「こうしたほうがいいよ」とアドバイスもくれます。若い頃だったら、私もルールやポリシーを曲げたくないので、けんかになっていたかもしれませんね。子どもが成長し、親子ではなく、対等で女と女の関係性になると、お互い譲れないことが多く、衝突してしまいます。でも、歳を重ね、経験を積むと、距離を取ることを覚えますから、自然と親子のけんかやトラブルもなくなっていきました。娘とはいまでも毎日LINEで話す間柄ですが、一定の距離感をお互いに保っているから、親子の関係がうまくいってるのかもしれません。近ければいいわけじゃないんですよね。
それに昔から好奇心が旺盛で、興味を持つとやりたくなる性格なんです。ボーリングがはやった時代にはボーリング場に通いましたし、テレビドラマの影響で手話ブームになったときは、3年間講座に通って、手話の通訳者を目指したこともあります。すでに60歳を過ぎていた頃だったのですが、20代や30代の方々に混じって勉強しました。結局、試験には受からなかったのですが、いまでも日常会話程度なら手話もできますよ。
ハッピーな気持ちでいると幸せが重なっていく
――子育てで大切にしていたことは何ですか?
大崎さん:女手ひとつで娘を育てていたので、負い目があり、「父親がいないことで寂しい思いをさせたくない」とか「娘にみっともない格好をさせたくない」という思いでいっぱいでした。離婚したから、貧しくて、みっともない格好をさせているんだと思われたら、恥ずかしい。無理してでも娘にはきちんとした服装をさせようと心掛けていました。また、父親がいないので、叱るときは叱り、あまり甘えさせてばかりはいられないと、今から思えば、意地を張るように子育てをしていたように思います。だから私にとって、30代が人生で一番辛い時期だったと思っています。
当時は仕事選びも大変でした。娘が小さいうちは、幼稚園への送り迎えもあるし、一緒に過ごす時間も優先したかったので、しばらく姉がやっていた喫茶店を手伝うことにしました。都合の良い時間に退社できる職場もなく、正社員の仕事にはなかなか就けなかったからです。そのため精神的にも金銭的にもきつい暮らしが続きました。
――娘さんとの関係はずっと良好だったのですか?
大崎さん:姉のお店を手伝っていた頃は、なるべく私が姉たちの分まで食事を作り、みんなで一緒に食卓を囲むようにしていました。姉や従兄弟とも毎日のように顔を合わせるので、私と娘は対立や意見の食い違いが起こったとしても、長引かず、関係がこじれることはありませんでした。客観的な第三者の意見があると、お互いに冷静になれるからです。
また、けんかしたときはこちらも頭に血が上っています。そんなときに何を話しても、分かり合えません。あまり逆らわず、一度、言うことを認めてあげます。そして、冷静になった翌日などに「あのときはね」と、気持ちを伝え、静かに諭します。すると、子どもでも親の気持ちがくみ取れると思っています。
――また著書の中で「不平不満、愚痴ばかり言っていると、幸せはやってこない」という考えも綴っていましたね。
大崎さん:そうですね。不平不満や愚痴ばかり言っていると、良いことが起きないと思っています。だって、考え方がゆがんでいるってことじゃないですか。幸せの神様も、あんまり愚痴っていたら、嫌気が差して帰ってしまう。反対にハッピーな気持ちでいると、幸せが重なっていく気がします。
毎日のウォーキングもそう。健康のために歩かなきゃと思うと、寒い日は億劫になります。でも、今日はどんな花が咲いているんだろうと思って家を出ると気分が違います。鳥や福寿草を見つけたら、写真に撮ってTwitterにアップしようってなります。いつも不機嫌そうな顔をしていると、人も寄ってきませんが、笑顔でおしゃべりしながら、歩いているとどんどん知り合いも増えていきます。
子どもが独立したあとは、自分のために生きる
――50歳を過ぎて、未経験だった衣装アドバイザーになったとお聞きしました。どうして衣装アドバイザーになろうと思われたのですか?
大崎さん:娘が大きくなるにしたがって、送り迎えの必要もなくなり、徐々に選べる仕事の幅が広がっていきました。鰻屋さんの店員や化粧品の営業なども経験したのですが、娘が独立してからは、自分のやりたい仕事に就きたいという思いが強くなっていきました。生活費を稼ぐために働いていたので、今度は自分のために働きたいと思ったんです。
そんなある日、衣装アドバイザーを募集する求人広告を目にしました。八芳園で新郎新婦の衣装を選ぶお手伝いをする仕事でした。それまで衣装アドバイザーになるための勉強をしたこともなければ、もちろん経験も一切ありません。ただ、昔からおしゃれをするのが好きで、友だちのコーディネートを買って出ることがありました。それでどうしてもやってみたくなり、すでに50歳を過ぎていましたが、応募しました。
幸運なことに採用していただき、その後、職場を移りながらも、70歳になるまで続けることができました。50過ぎで、しかも未経験で衣装アドバイザーになったわけですが、不安はまったくなかったですよ。お客さんにとっては私が経験者かどうかは関係ありませんから、自信をもって接客しないといけません。むしろ見た目はベテランですから、お客さんの前ではプロの顔をするよう努めて、接客していました。
――現在はどのような暮らしをされているのですか?
大崎さん:日曜日を除いて、毎日、太極拳をやっているのですが、家を出るのが7時過ぎ。公園まで歩いていきます。1時間程度、太極拳をし、そのあとは仲間とおしゃべりをしながら、散歩をします。10時ごろに帰ってきたら、部屋の掃除をしてから、お風呂に入ります。掃除は、汚れがひどくならないように毎日ちょこっとやるのがコツです。掃除機も週に1〜2回しか使いません。物を出したら、必ず元の場所にしまう。これだけ守れば、ひとり暮らしだし、家がぐちゃぐちゃになることはありません。
お昼ごはんを食べたら、Netflixで大好きな韓国ドラマを夕方まで見ます。夕飯の準備をして、食べはじめる頃に、娘からLINE電話がかかってきます。晩酌しながら、20〜30分話したら、録画していたスポーツ番組を見るのも日課です。その後、ニュース番組を見ながら、自己流のストレッチ体操をして床に就く。そんな毎日です。
――90歳を過ぎても元気で、人生を楽しんでいられる秘訣はなんですか?
大崎さん:まずは健康でいること。毎日のように太極拳と散歩を欠かさず続けていることが健康につながっていると思います。眠いときや寒い日など、辞めたいと思うときもいっぱいあります。でも、私が健康でいられるのは、太極拳と散歩のおかけだと分かっているので、めげずに行きます。一度、サボると翌日もサボってしまいそう。人は楽なほうに傾いてしまうから。それは嫌です。90歳で毎日、こんなに歩いている人はいないのではないでしょうか? いまはそれが仕事だとも思っています。実際、もう働いていないので、やることがありません。だから、朝起きて太極拳に行き、歩くのが仕事です。仕事だと思えば、サボれないですよね? もう90歳ですから、一度足腰が弱くなれば、すぐに歩けなくなってしまいます。歩けなければ、行動範囲も決まってしまいます。健康だからなんでもできると思っています
それにいざというときに備えて終活もしています。65歳のときに自分のお墓も準備しましたし、娘に通帳やハンコの場所を教えています。私が倒れても娘はすぐに駆けつけることができないので、隣の奥さんと仲の良い友だちに自宅の鍵を渡して、私の姿を見掛けなくなったら、ドアを開けて様子をうかがってほしいと伝えています。その二人と娘はLINEでつながっているので、直接連絡できるようにもしているんです。普段は交流がない者同士なので、娘が一時帰国した際には、挨拶に行かせています。誰でもいつ倒れるか、認知症になってしまうのか、予想できません。親子で話しにくいテーマですが、終活は早いに越したことはないですよ。心配だけど、機嫌が悪くなるから、両親と話せないという人は、そっと私の本を渡して、こんなことやっている人がいるみたいと伝えてみてください。
編集後記
子育ての時期はつらかったと語っていた大崎博子さん。しかし、ひとり娘が独立し、海外に移住すると、自分の人生を楽しもうと次々と新しいことにチャレンジしていく姿が印象的でした。78歳を過ぎて覚えたパソコンやスマホを器用に扱い、現在は毎日のように娘さんとLINE電話でお互いの近況を報告し合う。娘さんとは物理的に離れているからこそ、程よい距離感で、心地よい親子関係を保たれているのかなと思いました。
年齢を感じさせないハツラツとしたお話しぶりから、今を心から謳歌されている幸せを感じ取ることができました。年齢は理由にならない。興味のあることは、とりあえずやってみる! 大崎さんの姿勢から人生を楽しむヒントをいただきました。大崎さん、素敵なお話をありがとうございました!