子どものために作った絵本が編集者の目に留まり、絵本作家デビュー
『とうさんかあさん』(石風社)『おかあさんがおかあさんになった日』『せとうちたいこさん デパートいきタイ』(ともに童心社)といった作品で知られる、絵本作家の長野ヒデ子さん。温かみのある絵柄が時代を超えて愛されています。そんな長野さんの作家デビューは、思いがけない形だったといいます。
――どんな経緯で絵本作家になられたのでしょうか?
長野さん:私は現在の愛媛県今治市の出身ですが、中心地から離れた富田村という小さな村で生まれました。図書館もなければ、本屋もない。そんなところで育ったので、子どもの頃は本や絵本を読む機会がほとんどありませんでした。いろいろな本と出会うようになったのは、大人になってからで、特に絵本に魅せられて、集めるようになりました。
児童文学者の石井桃子さんらが、自宅で子どもたちに本を貸したり、一緒に遊んだりする「子ども文庫」という活動をしていることを知りました。私もやってみたいと、自宅を開放するようになりました。遊びに来た子どもたちと一緒に遊んで、カレンダーの裏や広告の裏紙に絵を描いたり、子どもと一緒に文章を書いているうちにできたのが、『とうさんかあさん』です。それをたまたま見た、編集者の福元満治さんから出版したいと言われたのが絵本作家になるきっかけです。
――その当時は専業主婦で、特に絵本作家を目指していなかったんですよね?
長野さん:絵や文章を書いていたのは、ただ子どもたちと一緒に遊びたかったからです。絵本作家を目指していたわけでもなければ、楽しませようという気持ちもありませんでした。子どもと一緒に遊んでもらうための道具です。子どもは大人より感覚が鋭いし、物を見極める力も大人より優れているんです。だから、子どもに何かを教えるなんて、とんでもない。むしろ、子どもに教えてもらうことばかりでした。
『とうさんかあさん』は、当時「子ども文庫」で、子どもから問い掛けられたことをまとめただけのもので、出版するときも手直ししていません。だから、それが絵本になり、日本の絵本賞文部大臣奨励賞という賞まで頂けたのは、子どもたちの問い掛けが面白かったからでしょう。選考委員の方々からも、「子どものどんな質問にも、きちんと答えている。子どもと同じ目線で何でも答えてあげることが一番大切で、この本にはそれがある」と言っていただきました。
――ある日突然、絵本作家になったわけですが、旦那さんなど、周囲の反応はどんなものだったのですか?
長野さん:「子ども文庫」の仲間は、お祝いしてくれましたが、家族の反応はそっけないものでしたよ。「勝手に出したら?」って感じです(笑)。でも、私にとっても、絵本を作ることは子どもにクッキーを焼くのとまったく同じ日常の生活の一つでしたし、本当に自然で大げさなことではなかったんです。
それに福元さんから「本にして出版したい」と言われたとき、私は本を出したこともないし、どうせこんなもの売れないですよ、と一度断ったんです。それなのに地方の出版社が、初版を6000部も刷ると言うんです。会社がつぶれますよと答えたのですが、それでも福元さんは出版しました。絵本作家になっても、人生が変わる気がしませんでしたし、実感もありませんでしたね。夫の転勤で引っ越すことになっていたこともあり、もう私には関係ないからいいかと思ったんです(笑)。
――2作目にどんな作品を描けばいいか、少し苦労されたそうですね。
長野さん:いろいろな編集者から声が掛かったのですが、1冊、たまたま出版しただけで、私には能力もないし、もう作れないと思っていました。その後、縁があって、他の作家さんの挿絵を描く機会をいただいたのですが、そこで絵本作家に必要なことを学ばせてもらった面もあります。例えば児童文学作家の那須正幹さんからの「お江戸の百太郎」シリーズや、「銀太捕物帳」シリーズの挿絵依頼では、文章に書いていないことを描き、創造が膨らむようにすることの大切さに気付かされました。
人との出会いで本を出版することになり、絵本の作り方や取材の仕方も教えてもらいました。仕事の依頼も縁でいただくものばかりで、自分で出版社に売り込んだことは一度もありません。出会いって不思議ですね。
他の作家さんのお仕事を手伝ううちに、頭で考えたものではなく、体から生み出すものを作りたいと思うようになり、それでできたのが、『おかあさんがおかあさんになった日』です。自分も出産をし、経験があったテーマですし、多くのお母さんにも取材させてもらい、作りました。当時、赤ちゃんを産むことをテーマにした絵本はたくさんあったのですが、出産を通して、お母さんも生まれる、その視点が新しいと言われました。
――自然な成り行きとはいえ、そこからは締め切りのある創作活動に変わったと思います。子育てもある中で、どのように時間をやりくりされていたのですか?
長野さん:子どもが小さい頃もそうですが、親の介護をしている時期もあり、大変でしたね。あるとき病気で倒れた母が2カ月ほど入院することになりました。病院での様子を見ていたら、こんな生活を続けさせられないと思い、私の家に連れて帰ってきたんです。もう家族で看病しようと。当時は介護保険も満足になかったので、自分たちで面倒を見ることにしました。結局、10年間、自宅で看病していましたが、母が休んでいるベッドの横に机を置いて、時折、こんなのを描いているんだよって見せながら作業をしていました。母は話せなくなっていましたけど、理解してくれている感じがして、うれしかったですね。
子どもには子どもの世界があるので、ほったらかし
――多くの子どもたちと接してこられたと思いますが、ご自身の子育てで大切にしていたことは何ですか?
長野さん:子育てに関しては、「ほったらかし」です(笑)。子どもたちからはうるさいことを言っていたと言われるのですが。それでも、やりたいことは何でもやらせていました。子どもには子どもの世界があるので、あまり立ち入らないようにしていました。受験のときに、娘が自分でお弁当を作って、出掛けていったことを思い出します。「もし試験に落ちても、お弁当を作っていたからではなく、あなたの実力がなかったからよ」と娘に言った記憶があります。
そんな子育てになったのは、『おかあさんがおかあさんになった日』で、出産の現場を取材していたことも影響しているかもしれません。子どもは教えられなくても、お母さんの産道を通って、自分の力で生まれてきます。だから子どもに教えることなんて何もないんだって感じたんです。生まれながらにして、良い悪いを判断する力も、ちゃんと持っています。だから親は命に関わるようなけがをしないように見守るくらいで、子どもに教えることなんて何もないんです。
――娘さんは反発しなかったのですか?
長野さん:娘からは、普通のお母さんがよかったって言われています。なんでいつもこんなにだらしがないのって怒られてばかりです。確かに、よく落とし物もするし、けがもする。病気にはならないけど、なんでそんなに次々とけがばかりするの? とか言われます。ボーッとしているからかな(笑)。自分のことは自分でする。みんなが好きなことを勝手にやる、うちはそんな多様化家族です。
私が子育てでアドバイスできることなんてないですが、どんな子どもも素敵な感性を持っています。それを気づかせて、褒めてあげること。優劣なんてないし、みんなが良いものを持っています。私もそんな見方があるんだと、子どもから学ぶことばかりです。大人に告げる言葉をまだ獲得していないだけで、感じる力は子どものほうがすごいですよ。
怒りたくなる気持ちも分かりますが、怒ったあとが寂しいですよね。子どものためにならないし、せっかく生きるなら怒らないほうがいいでしょう。
――娘さんとは、共著で本も出されていますが、それはどんな経緯で実現したのですか?
長野さん:娘は現代音楽の研究をしているのですが、子どもたちに音の原点みたいなものを、分かりやすく伝えたいということで、『すっすっはっはっ こ・きゅ・う』や『まんまん ぱっ!』(ともに童心社)といった絵本を一緒に作りました。赤ちゃんが初めて発する言葉は、「ま」や「ぱ」になることが多いのですが、これはおっぱいを吸うときの口の形です。命の糧を求める形なので、一番発音しやすいのかもしれません。
娘が文章を書き、私が絵を描く共同作業だったのですが、けんかばっかり。そうじゃない、こうじゃないと、いろいろ言われるので、編集者を通じて、誰か違う人に描いてもらったら?と一度、伝えたくらいです。親子だから、遠慮せずに言いたいことを言っちゃうからでしょうね(笑)。
日常には、面白いことや楽しいことがいっぱいある
――働いていた女性が子育てで一時、休業すると、社会との接点がなくなり、自分らしさに悩む方もいらっしゃいます。アドバイスはありますか?
長野さん:社会との接点は、職場だけではなく、日常にもいっぱいあるんですよ。しかも、お勤めしているとき以上に面白いものがきっとたくさんあります。みんな毎日、勤めてえらいなっていつも思いますが、生き方は他にもいっぱいあります。だから、縛られないでもっと自由にやればよいのではないでしょうか? ひょっとしたら、見過ごしているだけかもしれませんよ。丁寧に日常を見ると、楽しいことや面白いことはいっぱい広がっていることに気付くと思います。
――創作の種も、日常の中にあるんですか?
長野さん:そうですね。日常の何気ないものから生まれます。日々感じる、面白い瞬間を無意識に拾い集めていて、それがあるときポケットから出てくるような感覚です。絵本はうまい絵が描ければよいのではなく、作者のモノの見方や生き方が問われます。どう生きるかが作品になります。だから、文章も絵もその人の体から出てきたものじゃないと伝わりません。子どもは目で絵本を見ているのだけではなく、体で感じています。理屈ではなく、体で受け止めているんです。自分の思いにおかしな点があれば、すぐに見透かされてしまいます。その感性は大人より鋭く、ごまかしが利きません。
絵本は子ども向けって思われるかもしれませんが、子どもにも分かる言葉で書いてあるだけで、子どもから大人までが読者だと思っています。忙しいサラリーマンの方にも読んでもらいたいし、国会でも絵本の読み聞かせをしてみたいくらい。国会の控え室に絵本があったら、政治も変わるのではないでしょうか?
編集後記
人との縁で絵本作家になり、いままで創作活動を続けてこられたと語る長野ヒデ子さん。日常の中にある当たり前をすくい取り、温かみのある絵と文章で表現する長野さんの絵本の数々は、何度でも読み返してみたくなります。子どもの可能性、豊かな感受性を疑いなくまっすぐ信じる姿勢は、ぜひ学びたいなと思いました。飾らない人柄でとってもチャーミングな長野さん。大人だから、子どもだからと区別せず、何でも一緒に面白がる姿勢、ぜひ真似してみたいですね。
長野さん、楽しいお話をありがとうございました!