10月31日は【ガスの記念日】。ガス灯が登場した記念だった!
毎年10月31日は「ガスの記念日」。初めて神奈川県の横浜でガス灯が街を照らした日から100年後の1972年、「日本ガス協会」によって制定されました。
当時の日本は明治時代、西洋の文化がいろいろ伝わってきており「文明開化」の真っ只中でした。居留地に住む外国人からガス灯の要望があり、県から相談を受けた実業家の高島嘉右衛門はフランス人技師のアンリ・プレグランを招致、ガス事業を開始しました。
1872年10月31日(旧暦9月29日)、街灯としてガス灯が初めて馬車道通りを照らします。
これをきっかけに、日本中にガス灯が広まっていきました。当時の「錦絵」にも、普及したガス灯の姿が背景として描かれています。
ガス灯は、当時の暮らしにどのようなメリットがあった?
ガス灯が革新的だったのは、何と言ってもその明るさ。それまで明かりといえば、ろうそくや行灯(あんどん)などがほとんどでした。
ガス灯の明るさはろうそくの約1.5倍になります。月の明かりを頼りに夜道を歩いていた、当時の日本人にとって、暗い夜道を煌々と照らすガス灯は衝撃で、「文明開化の象徴」と言われたそうです。
その後、ガスの炎にかぶせて利用するマントルを使用した「ガスマントル灯」が開発され、さらに明るく、安定した青白い光になりました。「ガスマントル灯」は「ろうそく」の約7倍の明るさです。
いかにガスが人々の暮らしに影響を与えたかが分かりますね。
ガスはどのように庶民の暮らしに広まったの?【明治時代】
明治時代の始めは公営だったガス事業。1885年、渋沢栄一が、民間企業である「東京ガス」を創設しました。
当初、「明かり」として使われていたガスは、1900年頃から徐々に調理や暖房のための「熱源」として重宝されていきます。
例えば台所。それまでは土間で薪や炭で火を起こししていました。火起こしは手間がかかるため、朝食の支度をするにも夜明け前から準備が必要でした。
しかし「ガスかまど」というガスを燃料にした調理機器が登場します。
これによりマッチ1本で手軽に火をつけられるようになり、ガスで調理できるようになりました。ガスの安定した火力で調理の負担が減り、また火の粉や灰が飛ばないことも喜ばれたようです。
輸入品が中心だったガス機器も国産へ【昭和初期】
昭和6年に登場した風呂釜で、今まで薪などで沸かしていたお風呂が手間がかからなくなります。
その他にも、洋食が広がるにつれ、ガストースターやコーヒー沸器も登場します。
食パン焼き器(四面式)
瓦斯珈琲沸器
ガスは「モダンの象徴」に! 革命的だった事とは?【昭和・戦後】
その後も、さまざまなガス機器が登場し、人々の生活を豊かにしていきました。
戦後、流し台やガス栓・ガスコンロを備えた「ダイニングキッチン」が定着します。
かつては、土間でしゃがみながら炊事をするのが一般的でした。戦後登場したこの新しいキッチンスタイルにより、家族とコミュニケーションを取りながら食事の支度ができるようになりました。当時、この「ダイニングキッチン」は最先端で羨望の的だったそう。
気化熱で冷却する「ガス冷蔵庫」もありました。
ガス冷蔵庫
ガス自動炊飯器
昭和32年に登場した、スイッチ一つでご飯が炊けるガス自動炊飯器は日本の食卓に革命を起こしました。
東京ガスが戦後料理教室を銀座で開講したのは、翌年の昭和33年。
昭和40年代にはガスオーブンやガスコンロをビルトインしたシステムキッチンへ発展していきます。より暮らしや食文化が豊かになっていきます。
明治の暮らしが分かる! 大人も楽しい「ガスミュージアム」
ガスを知ると、自然と日本の歴史にも明るくなりますね。東京ガスの「ガスミュージアム」では、明治から現代に至るまでのガスの歴史を、楽しく学ぶことができます。
当時実際に使われていた、ガス灯やガスかまど、明治時代以降の生活を支えたガス機器類を常設展示しています。
当時の生活の様子が分かる、「明治錦絵」も約400点収蔵しています。歌川広重などによって描かれた貴重な資料です。
毎日当たり前のように使っているけれど、普段あまり意識することのない「火」や「ガス」にまつわる展示を【入館無料】で気軽にご覧いただけます。
おわりに
「ガスの記念日」の由来についてご紹介しました。ガスは日本で初めて登場した時から、形を変えて私たちの生活を支え続けてくれてるんですね。
ぜひ一度「ガスミュージアム」に訪れて、歴史を楽しく学んでみてください。
参考:東京ガス「ガスと暮らしの歴史」
参考:東京ガス「東京ガス130年、挑戦の歴史」
出典:東京ガス「ガスミュージアム:おしえて!ガスタッフさん」
参考:日本ガス協会「ガスの記念日」
参考:日本ガス協会「台所の風景を劇的に変えたガス」